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東京高等裁判所 昭和48年(ラ)575号 決定

抗告人(原審相手方) Y

相手方(原審申立人) 千葉県知事 友納武人

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告人は、「原審判を取り消し、本件を千葉家庭裁判所佐原支部に差し戻す。」との裁判を求めたが、その理由は別紙記載のとおりである。

二  よって以下順次判断する。

(一)  抗告人は先ず、抗告人は、事件本人A、B、C(以下、「事件本人ら」という。)の親権者であるのに、これという審問もせず、軽々しく事件本人らを施設に入所させる措置をとることを承認する旨の審判をしたことは違法であると主張する。抗告人が事件本人らの実父であり、かつ親権者であることは本件記録中の抗告人を筆頭者とする戸籍謄本により明らかであるところ、本件記録編綴の審問調書によれば、抗告人は、昭和四八年七月二四日午後二時千葉家庭裁判所佐原支部における審問期日に出頭して、家事審判官に対し、当時までの経過が家庭裁判所調査官に対して陳述したとおりであることを肯認したうえ、さらにその余の質問につき陳述していることが認められる。そして、これより先の同月一三日、同月一九日及び右審問期日の当日の三回にわたり抗告人は、家庭裁判所調査官Dに対し、当時までの経過及び抗告人のこれに基づく意見を詳細に陳述していることが同調査官の調査報告書によって認められる。従って親権者に対し審問をせず、また十分に陳述の機会を與えずに審判したとはいえず、また親権者の陳述聴取が事務的にすぎるとのことは、そのこと自体原審判を違法ならしめるものとは、認められないから、主張自体失当である。

(二)  次に、抗告人は、原審判の直前事件本人らの実母Eと抗告人とは離婚して昭和四八年七月三〇日その届出をおわり、事件本人らの親権者は抗告人のみとなり、また、事件本人らのうちB、同Cの両名は、同年八月二日以降抗告人とともに生活し、右両名は抗告人と生活することを望んでいるから、これらの事実に適合しない原審判は是正すべきであると、主張する。しかし、抗告人主張のとおり、事件本人らの実母Eと抗告人とが離婚し、抗告人のみが事件本人らの親権者となったとしても、それだけでは、原審判を変更する理由とならず、事件本人らのうちB、同Cが同年八月二日以降抗告人とともに生活し、抗告人と生活することを望んでいるとのことは、これを認めるだけの資料がなく、またそれが事実としても右事件本人らの年齢(後記認定のとおり)及び後記認定の本件の従来からの経過から考えると、これまた直ちに原審判を変更する理由とはならないというべきである。

(三)  さらに抗告人は、1事件本人Aが昭和四五年九月頃実出したことはない、2右Aが昭和四六年四月頃a市に居住していたEのもとに赴いたのは右Eから、その友人Fを介して、Eが病気になったと知らされ、またEから電話で金銭を無心してきたからであり、同年五月一三日頃以降事件本人らは、Eを信頼しなくなり落ちついている、3事件本人Aが中学一年で欠席した日数六六日の大部分はEがAの通学先に電話して連れ出したことによるもので、家庭不和によるものではない、これらの点において原審判には事実誤認がある旨主張する。

よって本件の実体につき判断するのに、まず本件家事審判申立の要旨は、「事件本人らは、父である抗告人にいじめられたことにより東京に行った義母Gのあとを追って家出したところを、○○警察署からの通告により昭和四八年三月一〇日千葉○○児童相談所に一時保護されるに至ったものであり、ことに事件本人Aは、以前にも家出したことがあり、抗告人の養育態度にも好ましくない点が多くみられ、これ以上事件本人らを抗告人に監護させることは著しく事件本人らの福祉を害するものと思われる。従って、事件本人らの福祉のため、事件本人らを養護施設に入所措置をとる必要があるところ、抗告人はこれに同意しない。そこで、入所措置の承認を求めるため本件申立に及んだ。」というにあるところ、≪証拠省略≫をあわせると、次の事実が認められる。

1  事件本人らは、いずれも抗告人とE(両名は昭和三三年二月から同棲し昭和三四年一二月五日婚姻の届出をした)との間に出生(Aは、昭和○年○月○日、Bは、昭和○年○月○日、Cは昭和○年○月○日各出生)した子であるが、昭和三九年一〇月Eは家出し、当時満四年一一月の長男事件本人A、二年九月の長女事件本人B、一年七月の二女事件本人Cが抗告人のもとに残された。

2  抗告人は、E家出の後間もなく千葉県b市cの実家から同県d郡e町に転居し、事件本人らを男手ひとつで養育し、やがて長男Aがe町のf小学校に入学するとそのPTA役員になった。抗告人は大学卒業の学歴を有し、事件本人らの将来を期待し、努めて同人らに経済的不自由をかけないようにしたが、日頃から同人らを厳しく叱り、ことにAには時々手や箒の柄で打つなどの厳しい体罰を加えた。事件本人らは、叱られたり体罰を加えられたりすることにつきわけのわかる場合もあったが判らない場合が多く、そのため事件本人らは抗告人に対しおびえる気持を持つようになった。

3  抗告人は、気管支喘息のため昭和四六年四月二〇日から同年五月二二日までe町のg中央病院に入院したが、右入院中の同年四月三〇日前記のように家出をして芸者等をしていたEが一旦eの抗告人宅に戻ったのに、間もなく多額の金員を拐帯して出奔してしまったのに立腹し、事件本人らにも「もうお母さんは絶対に家に入れない」と言明した。同年一〇月中旬抗告人は、退院祝の宴席で芸者として出会ったG(昭和○年○月○日生れ、当時Hと婚姻中で夫の氏を称していた。その後昭和四七年一〇月一二日離婚届出をなしGに復氏した。)と内縁の夫婦となり、以来同女が事件本人らの母代りとしてその養育監護に当ることとなったが、Gは事件本人らにやさしい情を示し、事件本人らもGによくなついた。事件本人Aは、昭和四七年四月h中学校に進学したが、同月一五日頃Eから電話で呼ばれてa市の同女のもとに行き、同年五月一四日頃eに連れ戻された。抗告人は、この家出を怒り、Aを厳しく折檻し、同月一七日頃Eと協議離婚すべく、同女とともに離婚届出書に署名押印したうえ、同女に以後事件本人らに干渉しないよう要求した。その際EはGに「子どもだけはよろしくお願いします。」と言い、Gが「引き受けました」といった。しかし、右離婚届出書は、後にEが市役所吏員に飜意する旨連絡したため受理を拒否された。なおGは、同年一一月一七日抗告人との間の女児Iを出産した。

4  抗告人は、G、事件本人らを連れて、昭和四七年一月房州方面に、同年八月には伊東、大島、熱海等を十日にわたり旅行し、また昭和四八年一月福島県いわき市にドライブ旅行をし円満に過したこともあったが、平素抗告人は仕事などがうまく行かないと帰宅してGや事件本人らにくどくどとその話をし、事件本人らがこれを理解しないと同人らに八つ当りすることがたびたびであった。他方、Gは、かなり前から睡眠薬、頭痛薬、精神安定剤を常用しまた酒も強かった。

5  Gは、昭和四八年三月六日荷物をまとめて家出しようとした。抗告人は、これを見付けて数回殴って引き止めた。しかし、Gは、翌七日抗告人の外出中Iを連れて家出し、東京都i区△△j丁目××番×号の姉の夫J方に身を寄せ、事件本人らは、学校から帰ってこれを知り、Gのあとを追ってJ方に行った。J夫妻が翌八日自動車でBとCとを抗告人のもとに送り届け、Aも同日抗告人のもとに帰った。抗告人は、同日J夫妻から子供達を叩かないよう諭され、そのように約束したのに、同夜「父に恥をかかせた。」と言って事件本人らを見境なく小突き、殴り、Bの髪を引っ張って引きまわし、Cを蹴るなどの暴行を加え、「お母さんを探して来い。お前らも出て行け。」などと怒嗚り散らした。事件本人らは、こわくなって隣家の珠算塾の教室で夜を明かし、翌九日見つけて追いかける抗告人を振り切って家出し東京のJ方に逃げ込んだので、J夫妻から事件本人らの処遇を◎◎警察署に相談し、同署から○○警察署に連絡し、同署から□□児童相談所長に通告し、同所長の委託により、事件本人らは、千葉県○○児童相談所長から一時保護を受け、次で千葉県立養護施設k学園に仮委託されるに至った。

6  事件本人らの親権者父抗告人は、うっ血性心不全、高血圧症性心疾患のため昭和四八年四月二八日g中央病院に入院したが、同年七月二三日退院し、事件本人らの引き取りを強く希望し、事件本人らを養護施設に入所させることにつき承認をしない。しかし、事件本人らは抗告人方に帰ることを拒否している。

7  抗告人が事件本人らの引取を希望するのは、事件本人らに対する愛情によるというよりむしろ、抗告人がeの小、中学校のPTAの役員や会社役員をしたりしているので、施設入所と決まれば世間態が悪いという理由によるものであり、また抗告人は、Gの行方を探し連れ戻して事件本人らの面倒を見させようとするが、J夫妻はその所在を隠して同女に抗告人を会わせないようにし、Gも抗告人のもとに戻り、事件本人らの面倒を見ようとはせず、昭和四八年三月二六日前記渋谷区●●に転入届出をしたうえ行方をくらましているので、事件本人らの保護者となる見込があるといえない。

8  親権者である父抗告人は、Eの親権濫用を非難するに急であって、一方的に自らを正しとして、冷静に一歩下がって現実を直視する余裕に乏しく、また自己の思い通りにならぬとき感情が激昂し抑制がきかず、前記のとおり諭された当夜事件本人らに体罰を加えながら、その記憶を喪失している(抗告人は、体罰を加えたことを否定しているので、もし、その陳述を信用するとすれば、記憶を喪失したといわざるを得ない。)

9  事件本人らは、同人らに対する抗告人の態度、特に幼少期から屡々受けた暴力、体罰、狂乱的言動から抗告人に対し容易に消し去り難い不信感、嫌悪感、恐怖感を抱いている。

10  事件本人らは、知能的にも、性格的にもさして問題はないが、このまま抗告人の監護のもとにおけば、経済的に不自由はなくても、不安定な家庭生活の悪い影響が学校生活にも及び遂に性格が大きく歪められる危険がないといえない。

三  してみれば、事件本人らをこのまま親権者である父に監護させることは著しく事件本人らの福祉を害する場合であって、事件本人らの福祉のためには、事件本人らをその親権者である抗告人の意思に反しても、養護施設に入所させるべきであると認められる。従って、施設に入所させる措置をとることを承認した原審判は相当であって、記録を精査してもこれを取り消すべき瑕疵は見当らない。

よって、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用は、抗告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉岡進 裁判官 園部秀信 兼子徹夫)

〈以下省略〉

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